カンボジアについて

歴史背景
10世紀から13世紀にかけてクメール人こそが一番だと考えたカンボジアは、アンコール王朝時代に東南アジア全域に勢力を拡大しましたが、タイやシャム(現在のベトナム)からの攻撃を受けるようになると徐々に王朝の繁栄にもかげりが見え始めました。やがて1863年にはフランス植民が開始され、1887年にはフランス領インドシナに編入されることになりました。
1940年の第二次世界大戦時には日本軍がインドシナに侵攻、1945年3月12日にノドロム・シアヌーク国王がカンボジアの独立を宣言しましたが、日本が敗戦したため1946年には再びフランスの保護下となってしまいました。しかし国王は粘り強く独立運動を続け、その後の1953年にフランスより完全独立を果たしました。
しばらくの安定の後1970年には新米のロン・ノルがクーデター決行し政権を奪取しましたが、中国に脱出していた国王が結成した「カンプチア民族統一戦線」とともに共産主義勢力「クメール・ルージュ」との5年間に及ぶ内戦に発展し、多くの人々が都市部から避難する事態となりました。
1975年4月、遂にロン・ノルは国外に逃亡しクメール・ルージュが新憲法を発令し、ポル・ポト政権が誕生すると、都市居住者、資本家、技術者、学者・知識人などから一切の財産・身分を剥奪し、郊外の農村に強制移住させ、農民として農業に従事させられるとともに、その多くが反乱を起こす可能性があるという理由で処刑されました。このポル・ポト時代の飢餓や虐殺による死者は300万人にも上るといわれています。1978年からはベトナムとの戦闘が勃発し、クメール・ルージュ体制が崩壊しポル・ポト派をタイ国境近辺の山林に追いやるとともに、カンボジアはその後10年間に及ぶ実質的なベトナムの支配下となりましたが、ポル・ポト一派を完全に駆逐することは出来ず、ここからさらに13年間にも及ぶ内戦を経験することになります。1990年6月、東京にて「カンボジア和平東京会議」を開催、続く1991年10月、フランスのパリで「カンボジア和平パリ国際会議」を開催し、ここに合計20年間にも及ぶカンボジア内戦が終結することとなりました。1993年には国連の監視の下総選挙が行われ、9月には制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノドロム・シアヌーク国王が再即位することになりました。1998年4月にはポル・ポト派支配地域にてポル・ポトの死亡が確認され、1999年には大半のポル・ポト派残党が投降するなどし、国連などの主導の下、自国民大虐殺、人道に対する罪などで裁判を行うこととしていましたが、様々な理由により2006年7月に開始されるまで引き伸ばされてきました。
カンボジア国内はその後幾度かの選挙のたびに、派閥争いなどの小競り合いも見受けられるものの大きな抗争には発展せず、おおむね平穏を保っており、2004年には前国王が息子に国家元首の座を譲り、現在はノロドム・シハモニ国王が在位しています。
地理
| 立地: |
東南アジアのタイランド湾に面し、タイ、ベトナム、ラオスに囲まれています |
面積: |
総計: 181,040 平方キロメートル 国土: 176,520 平方キロメートル 水面積: 4,520 平方キロメートル |
気候: |
熱帯モンスーン気候に属し、5月から11月までが雨季12月から4月までが乾季となります
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地形: |
南東及び北側に山脈を擁し、ほぼ全土に渡って起伏のない低地です |
人々
人口: |
14,241,640人
注記: 乳幼児の死亡率や、AIDS 感染者による死亡率を高めに考慮し、 算出された概算の数値です。状況によっては男女別および年齢別の 分布などが、大きく変わる可能性があります。(2008年統計) |
年齢別分布: |
0歳から14歳: 33.2%(男性 2,389,668人 女性 2,338,838人) 15歳から64歳: 63.2%(男性 4,372,480人 女性 4,627,895人) 65歳以上: 3.6% (男性 193,338人 女性 319,421人)(2008年統計) |
年齢の中央値: |
男女計
: 21.7 歳 男性: 21 歳 女性: 22.5 歳(2008年統計) |
人口増加率: |
1.752%(2008年統計)
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出世率: |
25.68人出生/1000人中(2008年統計) |
死亡率: |
8.16人死亡/1000人中(2008年統計) |
乳児死亡率: |
男女計 56.59人死亡/1000人出生中 男子 63.76人死亡/1000人出生中 女子 49.1人死亡/1000人出生中(2008年統計) |
平均寿命: |
男女計 61.69歳 男性 59.65歳 女性 63.83歳(2008年統計) |
平均出生率: |
1女性当り3.08人 |
HIV/AIDS感染率: |
2.6%(2003年統計) |
HIV/AIDS生存者数: |
170,000人(2003年統計) |
HIV/AIDS死亡者数: |
15,000人(2003年統計) |
主な感染症: |
危険度の高い感染症 食べ物や水での感染症: 腸チフス、A型肝炎、細菌性下痢等 病原菌からの感染症: デング熱、日本脳炎、マラリア 注記: 高原性H5N1亜型鳥インフルエンザがカンボジアで発見されましたが、鳥から人への感染は非常にまれなケースとして報告されており、無視できる程度のリスクと考えられています |
民族別分布: |
クメール人90% ベトナム人5% 中国人1% その他4% |
宗教: |
上座部仏教95% その他5% |
言語: |
クメール語(国語)95% フランス語、英語 |
政府
政体: |
立憲君主制の下での二院制議会を持つ複数政党民主主義 |
首都: |
プノンペン |
行政区分: |
20の州(khett)と4つの特別市(krong)に分かれる。 州 バンテイメンチェイ州 (Banteay Meanchey) バタンバン州 (BattamBang) コンポンチャム州 (Kampong Cham) コンポンチュナン州 (Kampong Chhnang) コンポンスプー州 (Kampong Speu) コンポントム州 (Kampong Thom) カンポット州 (Kampot) カンダル州 (Kandal) ココン州 (Koh Kong) クラチエ州 (Kratie) モンドルキリ州 (Mondol Kiri) ウドンメンチェイ州 (Otdar Meanchey) プレアビフア州 (Preah Vihear) プレイベン州 (Prey Veng) ポーサット州 (Pursat) ラタナキリ州 (Ratana Kiri) シエムレアプ州 (Siem Reap) ストゥントレン州 (Stung Treng) スヴァイリエン州 (Svay Rieng) タケオ州 (Takeo) 特別市 ケップ特別市 (Kep) パイリン特別市 (Pailin) プノンペン特別市 (Phnom Penh) プレアシアヌーク特別市 (Preah Sihanouk. シアヌークビル特別市 (Sihanoukville)とも。) |
独立記念日: |
1953年11月9日(フランスより独立) |
教育水準
近年カンボジアでは基礎教育の拡大に力を入れていますが、しっかりとした教育と訓練を受けた教員の高い離職率および低い定着率により、特に地方の農村部においては深刻な人材不足が起こっています。1993年以来入学者数が67%の増加していることに比べ、教員の数はわずかに7%増加しただけに留まり、小学校教員比率は56:1という低水準となってしまっています[2005/2006EMIS調べ]。
この教員の高離職率による人材不足は、40.5%にも上る小学校の運営が立ち行かない状況を生み出しており、事実上6年間の初等教育を終えることができなくなってしまっています。
2001年に学費制度が廃止されてからは、小学校の就学率が過去数年に比べ大幅に増加しているものの、ココン州、ラタナキリ州、モンドルキリ州では依然低い就学率を保ったままになっています。 EMIS(教育管理情報システム)のデータによれば、WFP(国連世界食糧計画)の支援による給食プログラムは、小学生の就学率の増加に関しかなり良い結果をもたらしているようです。2005-2006年度のWFPプログラム対象地区での就学率は92%(女子91.23%)となり全国の就学率も91.3%となりました。またこの期間の出席率も非常に高く、男子97%、女子97.5%という結果をもたらし、その結果WFPの支援する学校は在籍した児童の91.89%の女子と90.29%の男子が無事に6年間の初等教育を終え卒業することが出来ました。小学校における男女混合比は既存の学校で0.82から0.92に上、新設校では0.86から0.95にそれぞれ上昇しました。
しかし子供たちが就学して教育を受けるためには、様々な障害が立ちはだかっているのも事実です。特に貧しい農村部に暮らす子供たちは学校に行って教育を受けたくても、家族の一員として仕事を手伝ったり、幼い兄弟たちを養うために少しでもお金を稼ぐために働いたりしなければいけません。その他の理由としては、貧しい家庭では子供が学校で必要とされる制服や教科書を買うお金がないことや、学校までの距離が遠くて通学できないことなどが挙げられます。このように貧しい地域はますます教育の機会を妨げられる事になってしまっています。
UNDP(国連開発計画)が2007年に発表した人間開発報告書では、カンボジア政府は1998-2004年の6年間においてかなり教育の進歩を遂げたとしていますが、もしカンボジアが真の教育の発展を目指しているのならば、この直近の5年間にももっと更なる教育への尽力がなされるべきであったと考えられています。
経済 - 概要
2001年から2004年にかけてカンボジアは観光業や縫製産業などを主要産業として毎年6%以上という経済成長率で発展してきましたが、2005年にWTO(世界貿易機関)の協定が失効するとともに、中国やインドとの熾烈な価格競争に巻き込まれることになりました。カンボジアで縫製産業の職種に従事する人々は35万人に及び、カンボジアの輸出額の70%を占めています。
2005年にはカンボジア領海内に石油や天然ガスの油田がある可能性が発見され、カンボジア政府の新たな収入源になると期待されており、更には北部の地域に鉱山にはボーキサイトや金、鉄、宝石などが含まれているとされて、にわかに投資家の注目を集め始めています。
2006年にはカンボジアとアメリカ2国間での貿易協定(TIFA)第1ラウンドが協議され、2007年初頭に調印されました。
観光産業は急速に拡大し、2007年には200万人がカンボジアを訪れるまでに成長しましたが、2009年には外国におけるトラブルが、カンボジアの経済成長の足を引っ張る結果となってしまいました。世界的な金融危機による輸出の減少や、信用収縮による国内への投資の減少はカンボジアの長期的な経済発展を、更なる困難な挑戦へと変化させてしまいました。カンボジア政府は様々な国との2国間及び多国間協定の模索や、IMF及び世界銀行との協議を続けています。
次の10年間のカンボジアの経済における主な課題は、全ての人々に十分な職を創出し経済的な格差を少なくすることにあります。
この国では50%の人々が21歳以下と非常に若く労働力は多大ではありますが、農村地区では基本的な教育やインフラの欠如に苦しんでおり、生産能力などは著しく低くなってしまっています。


